シーザー武志会長から“ミスターシュートボクシング”とまで呼ばれる男、宍戸大樹選手。
デビューから18年間という長い間、シュートボクシングを牽引してきた宍戸選手は、ついにその時代に幕を下ろすことを決意した。
最後のリングにかける思いを、宍戸選手はこう語る。
今度の試合は、以前対戦した強豪(2015年9月、ムエタイ王者ジャオウェハー・シーリーラックジムに6R延長戦で判定勝ち)との再戦です。前回の試合は僅差での勝利だったので、今回は シーザー魂である最後まで折れない心できっちり勝ちにいきます。今回は旧SBルールである肘ありルールを採用してもらえることになりました。元々自分も肘ありは得意としているので、使えるもの全て使っていきます。
シーザージム浅草はシュートボクシングの本部です。そこの一番上として最近の自分は、シーザー魂である「最後まで折れない心、あきらめずに立ち向かう姿」を後輩たちに見せられていないんじゃないか、と思っていたところがありました。たとえ劣勢に立たされてもあきらめないで挑んでいく、その姿を最後にシュートボクシングを引き継ぐ後輩たちには見せたいです。
試合のために万全の状態でベストを尽くすと語る宍戸選手。しかし、宍戸選手の生活はシュートボクシング協会の職員としての事務仕事、ジムの指導員、そして自身の練習をこなすというめまぐるしい日々。最後の試合に向けて宍戸選手の考える「万全の状態」とは。
朝は娘たちを送り出して9時30分にはジムに出社します。10時にはジムをあけて練習生の指導、そして自分の昼練習をして、夕方まで指導です。それから夜練をして、10時にジムが閉まるので、そこからその日に片付けられなかった事務作業をします。ですので、終わるのはだいたい11時30分か、12時くらいですね。長い間、ずっとこの生活をしてきました。だから、最後の試合といっても、いつもより休養を多くとったりとかは考えていません。今までやってきた普段通りの生活で、仕事をしながらいつものように試合をします。それが僕の「いつも通り」です。よく時間がなくて大変そうとか言われることもありますが、仕事をしながらここまでやってこれたのも、周りの人たちのおかげなんです。僕は事務作業とかあまり得意ではない、飲み込みも遅い方で。それでも周りの人たちが、見捨てず投げ出さずに僕を導いてくれたので、ここまでやってこれたんだと思っています。
シーザージム浅草の指導員として一般会員の指導も担当している宍戸選手。プロの練習指導とは違い、健康増進の目的などで通う一般会員たちの練習で気にかけていることは。
指導は押し付けないことを大切にしています。シーザージムのスタイルはもちろんあるのですが、練習生それぞれの、その人にあった練習方法を一緒にやるようにしています。この人にはミットで盛り上げて得意技を入れてみるとか、この人はキックが得意だとか、人によって指導方法は変えています。
今はこのスタイルでやっていますが、昔は「こうでなきゃいけない」というものにとらわれていた部分もありました。その考えが変わったのは娘が生まれてからです。娘を見ていると、子どもたちには決まりがないんです。遊びと、そうでないものに線引きがない、本当に無垢な存在です。だから言葉のかけ方、伝え方でいかようにも育つ。だからこそ、大人は責任ある行動を示さないといけない。娘たちのそんな姿を見ていたら指導に対しても、自分の固定概念を押し付けるのではなく、それぞれの伸ばす部分を見つけて伸ばしていく指導方法に変わってきました。そのことに気づかせて教えてくれたのも、子たちのおかげです。
小さい頃はジャッキー・チェンに憧れ、中学のときには部活で器械体操部、高校を卒業してからは少林寺拳法を経てシュートボクシングの門戸を叩いた宍戸選手。昔から格闘技が好きだった宍戸選手が、今でも不思議と頭に残るひとつの言葉があった。
中学のときの器械体操部が本当に練習がキツかったんですよ。そのときの先生に言われた一言が今でも鮮明に記憶に残ってて。その言葉というのが「つらいことから逃げたやつが、他にいっても成功するはずがない」なんです。たしか部活のみんなの前で言った言葉だったと思うのですが。なんでこの言葉がこんなに記憶にあるのか…、不思議なんですよね。
でも、何かつらいことがあったときには、いつもその言葉を思い出していました。今の若い選手たちにも伝えたいことでもありますね。試合に負けたり、ダメだったりしても、あきらめないで挑戦する、その意志を強く持つことです。
人生の半分をシュートボクシングに捧げてきた宍戸選手。現時点で自身の描く未来図とは?
試合が終わったら「あー終わっちゃったな」ってあっけにとられていると思うんですよね。本当に終わっちゃったのかーって。でも、試合を終えてもジムの指導員として指導は続けていくつもりなのでシュートボクシングから離れるわけではありません。さきほど、子どもから教えてもらったことが自分にとって大きかったと言ったのですが、2015年にデビューをして、プロで活躍している笠原弘希はキッズからの教え子です。シーザージムのキッズクラスの子供がプロになって、ゆくゆくはチャンピオンになる。これこそが、シーザージムのひとつのスタイルを魅せられる形になると思っています。だから、この先、笠原がチャンピオンになったら、本当に感無量ですね。笠原の他にもキッズから頑張っている有望な子たちがたくさんいるので、その子たちが活躍できるように僕も微力ながら貢献していきたいと思っています。
試合で大きな怪我をしたとき、連敗でどん底を味わったとき、それでも不死鳥のごとくリングに立ち続けてこれたのは、奥様と三人の娘たちの家族の支えと応援があったからだと語る宍戸選手。長い間、一番近くで見守ってくれた家族へ、最後に宍戸選手はこんな言葉を残した。
妻は自分にとって一番厳しく、一番近くで温かく見守ってくれた存在です。一番厳しくというのは、試合のこと、普段の姿勢とかです。シーザー会長と同じくらい、本当に厳しくひとつひとつのことに駄目出しをしてくれました。むしろ、ここまで僕のことを突っ込めるのは嫁しかいないな、と。引退することに対しては感傷的というより、ゴールというより、むしろ華々しいスタートとして一緒に最後の試合を戦う気持ちでいたいんです。僕という人間はここで終わりじゃない。最後の試合で、その姿を家族には見せたいです。
2016年4月3日 SHOOT BOXING2016 act.2にて宍戸選手は、どのような姿を観客に魅せつけるのか。そしてシュートボクシングを引き継ぐ者たちへ、一体何を残すのか。
格闘技の聖地・後楽園ホールを、現役最後のリングに選んだ宍戸選手の思いが試される。
聞き手 : 高橋藍
宍戸大樹
シーザージム浅草所属。 現初代シュートボクシング東洋太平洋ウェルター級王者。
1977年3月16日生まれ。福島県出身。シーザージム浅草所属。 現初代シュートボクシング東洋太平洋ウェルター級王者。 1998年プロデビュー。元初代シュートボクシング日本スーパーライト級王者。元初代シュートボクシング日本ウェルター級王者。S-Cup2004 準優勝、S-cup2006、S-cup2008 3位。