シュートボクシング
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HUMAN OF SB

11月11日(金)東京・TDCホールで開催される『SHOOT BOXING WORLD TOURNAMENT S-cup2016』に出場が決定している鈴木博昭選手。SHOOT BOXING(以下SB)の看板を背負う日本代表として期待がかかる。
アグレッシブな戦いぶり、鍛え上げられたたくましい肉体から、彼の身体能力の高さを感じるのだが、本人曰く「体育は1、2」だったと話す。そんな鈴木選手がSBのエースに這い上がるまでの軌跡を聞いた。

地元・愛知県豊橋市で、所属ジムStrikingGymAres(以下Ares)のインストラクターを務めながら練習に励む鈴木選手の普段の生活とは?

 

曜日によって違うんですが10時にはジムが開くんで、それまで家事とかやって、午前は朝レッスンして自分の練習。午後は事務仕事とかやって、体のケアして、夕方からキッズクラス、夜はクラスの指導です。練習は……空き時間にやっています(笑)。あとは、クラス指導中に混ざれるメニューだったら、そこで試合対策を念頭に入れてやったり。「よくそれでやってるね」って周りから言われるんですが、これで7年やってきてるんで。

最初のころはしんどかったですね。ジムのインストラクターが自分ひとりだったもんで、試合前でも会員さんが来てくれるので指導を休んで練習するわけにもいかない。そのときは、サンドバッグとかで試合前にひとりで追い込んだりしてました。

今は安田会長(Ares)に週1回ミットを持ってもらえたり、大樹(SB日本Sバンタム級王者・内藤大樹)とか後輩も育ってきてるので、数年前に比べたらずいぶん良い環境です。トレーナーは……しいて言えば僕。専属トレーナーはいません。だから他のジムでトレーナーがいる環境を見ると、本当に神、神の領域です。

でも、おかげで考える力がつきました、怪我の功名と言いますか……。選手同士切磋琢磨している、今のジムは奇跡のような環境です。

自他共に認める格闘技好きの鈴木選手。幼少時代からチャンピオンになる姿を描いていたのだろうか?

小学校のときに空手をやりたかったんですよ。でも家は「勉強をしっかりやりなさい」っていう家でやらせてもらえなかった。かと言って勉強もできる方ではなかった。体育は1とか2でした(笑)。よく「身体能力高いでしょ」、「昔から運動できたんでしょ」って言われるんですが、運動は疲れるし全く得意じゃなかった。部活とかヒィヒィやるのは地獄だって思ってましたから。

でも器械体操は学年で1位。周りから「なんでこれだけ出来るの?」と聞かれても、「いや、知らないよ……」って。多分メンタル的な問題なんでしょうね、「運動は疲れるから好きじゃない」ってあったから、そうじゃないジャンルのスポーツは楽しかったんだと思います。

昔の自分に「今はスポーツ関係で生きているよ」って教えたら、「嘘つけ」って驚くと思いますよ。

今でこそスポーツの楽しさを伝えられるようになりましたが、美味しいものを食べるのが好きで、家庭科と音楽、美術が好きな少年時代でしたから(笑)。

格闘技とは無縁だった少年時代からの転機とは?

 

格闘技って原始的でシンプルで、たぶんその一対一の戦いに惹かれたんだと思います。空手をやりたかったのも、武のたたずまいの良さに惹かれたから。中学から晴れて空手をはじめるんですが、そのときから一芸に秀でたい、空手で食べていきたいって思いました。もちろん空手でも全日本制覇を掲げて。

だから16歳の誕生日前に「空手で生きていく」と決めて、家を出ました。高校にはもともと行く気はなかったけど、周りが「高校だけはいった方がいい」と言うんでとりあえず行ってました。でも「アホか……俺の人生、決めるのは俺だし」と思ってて。今なら「高校出てからでも遅くはないよ」と言ってやりたいですが(笑)。

家を出るって言った時、親は「どうせ言っても変わらない」ってあきらめ顔でした。心配してくれていたんですけどね。今になって、そのときの親の愛情はわかるんですけどね。当時の僕は退路を断って飛び込む覚悟だったんで……。

それからの寝泊まりは空手道場の片隅。倉庫の跡地にできたような場所。食事はカセットコンロで作ってました。だから今でも自炊は得意。風呂はないんで、銭湯へは週1回。普段はポリバケツに水くんで体洗って。真冬でもパンツ一丁とかだったんで、今でも寒さには強いですよ。

そんな生活を続けてきて20歳の頃、いろいろと行き詰まってしまったんです。金銭面、人間関係含めて本当にいろいろ無理に。それでやめてしまいました。15歳から20歳まで人生をかけてきたものが一気になくなって「自分の人生なんて~」と思い、数ヶ月は住所不定のよろしくない世界で生活していました。

そんな僕を見かねた友達が地元に引き戻してくれて、実家に戻ります。ようやく普通の生活を送るようになったとき自分の中に「やっぱり格闘技がやりたい」という想いが出てきて。今度こそは全力でやろうと決め、東京行きを考えるんですが、恥ずかしながら借金があったもので、まずは働いて返済したら東京に行こうと決めました。

でも働きながらやっぱり格闘技がやりたくて、地元でできるところを探したんです。すると今の所属ジムを見つけて、「格闘技で俺はやっていきたい」と「プロ志望」で入りました。そのときAresはSB協会に加盟していなかったですし、まだSB選手になることも、今の自分の姿も想像すらしていなかったですが。

地元で再び格闘家の道をスタートした鈴木選手。その後の道のりとは?

 

僕の志望を聞いたAresの安田会長は「強くなるためだけに練習をしておけ。あとは心配するな、俺にまかせておけ」と言ってくれました。「チャンピオンになりたい」と話すと、会長はSB出身の選手だったこともあり「じゃあ、SB協会に加盟しよう」と話を進めてくれたんです。安田会長がそこまで僕の想いを汲んでくれたこともあって、とにかく気合を入れて、プロの登竜門アマチュア大会に参戦し、優勝を果たし、晴れてプロデビューすることができたんです。

そんなこともあり、たとえきついことや厳しい練習があっても、一度挫折してカスのような生活を送ってきたので、「もしここで負けたら何もねえよ」って言い聞かせてます。保険があるわけでもないですし。僕はSBで大きくなれました。もし安田会長に出会わなかったら、目標も自分を燃やせるものもなく、変わることができなかったんじゃないかと思います。

安田会長との出会い、SBとの出会いが鈴木選手を大きく変えた。では、鈴木選手の描く「これから」とは?

 

よく聞かれるんですが、今の自分が志半ばとか終盤か、とか。正直そんなもんどうでもいいんですよ。今は全力で走っている途中で、そんなときにゴールなんて見えない。今を頑張れない奴に先なんかない。「今」に勝負をかける。「今」が勝負なんです。

11日のトーナメント(『SHOOT BOXING WORLD TOURNAMENT S-cup2016』)に他の選手も出場しますが、オファーが来たから出ているのか、それともこの戦いに重い思いを抱いているのか……。

今の僕はおかげさまで格闘技で自分を燃やして生きていられる。素質や能力が足りないなら人生を懸ければいい、と思ってやってきたんです。四人兄弟の末っ子で、のほほんとやってきて「何もこんな過酷な世界に飛び込むこともなかろうに」と言われることもありますが、試合前の精神状態がギリギリのときに「これ俺の場所」、きつければきついほど「うん、これ普通だから」って自分と会話してます。僕は人生の半分以上を格闘技に投じてる身なんで。

格闘技の試合とか見ていると、その選手の性格が見えてくるじゃないですか。そういうところも好き。そんな人間模様を見るのが愛おしいとすら思ってしまう。

それはジムの会員さんも一緒。僕は指導中にたくさんエネルギーをもらっている。とにかく、ただただ楽しい。だからこうして長くやっていられるんでしょうね。

なんの取り柄もなかったと話す幼少時代、「覚悟」を決め人生の岐路を決断した15歳。今もなお純粋なまでの格闘技愛を握りしめながら、歩み続けるSBの道。その道はけして平坦ではないけれど「ここが俺の居場所」と語気を強める鈴木選手。その「覚悟」が試される時が来た。『SHOOT BOXING WORLD TOURNAMENT S-cup2016』は鈴木選手にとっての新境地となるのか、それとも……。
11月11日(金)『SHOOT BOXING WORLD TOURNAMENT S-cup 2016』TDCホール

https://shootboxing.org/tournament_schedule/12024

聞き手 : 高橋藍

鈴木博昭

S-cup65kg世界王者、SB世界スーパーライト級王者

1984年12月6日生まれ 愛知県豊橋市出身 StrikingGymAres所属 S-cup65kg世界王者、SB世界スーパーライト級王者 身長167センチ/体重65キロ 43戦34勝8敗1分





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