今年プロデビュー2年目のMISAKI選手。普段の愛らしい笑顔とは裏腹に、ファイトスタイルは真っ向勝負のブルタイプ型。さらに「小学生のころはゲーム好きの引きこもり肥満児だった」と、意外な幼少期の話をしてくれた。現在、短期大学に通いながら栄養士を目指すその夢も、シュートボクシング(以下SB)との出会いから生まれたもの。そんな彼女がSBと出会い、人生を大きく変え、プロデビューに至った経緯を聞いた。
MISAKI選手の幼少期とは。
小さい頃はただの肥満児でしたね。挨拶もできなくて引きこもりで。いつもカーテン締め切っている部屋でひたすらゲームをしているような。運動は嫌いでしたね。学校の体育が嫌で連絡帳に「足が痛いんで休みます」って母の字を真似して書いて、100均で買ったシャチハタ押して、休んでいました(笑)。父が大道塾のトレーナーをやっていたんで、空手には通わされていたんです。父も「挨拶くらいできるようになってくれんと」って。通うのが「嫌」言っていても、父が迎えにくるから仕方なく通っている感じでした。
その道場で内藤兄弟(兄・内藤凌太/SB日本スーパーバンタム級3位 弟・内藤大樹/SB日本スーパーバンタム級王者)と一緒だったんです。でも、内藤兄弟はその頃から黒帯で有望株だったので、前の方で基本稽古をしていて。私はというと、後ろの方で練習していました…。そんなとき、空手道白心会から来た白帯の子に、ぼこぼこにやられて「も~う嫌だ!」って思い、「部活に入る」を口実に黒帯をとる前にやめました。
部活は小学校から高校まで陸上部だったんですが、「ウォーキング部」って呼ばれるくらいゆるい部活で。それを知ってたから入ったのですが(笑)。
その頃は「頑張った先に何かあっても、私は頑張りたくない」って思っているような子でした。
そんなMISAKI選手は何を「きっかけ」に変わったのだろう。
カーテンを開けないでひたすらにゲームをやっていた小学生から、中学校になって、割と外に出るようになってきたんですが、中学1、2くらいで「反抗がかっこいい」時期になって。挨拶されても「は?」「触んな!」とかワルぶっているのが、かっこいい、みたいな。母のタバコをポケットに入れて、吸いもせんのに「持っとるよ」って…(笑)。成績は数学6点、英語10点の、オール1でした。
それが中学3年のとき、学校の先生を好きになってしまったんです…。「触んなよ」とか反抗していたら、その先生に呼び出されて「お前、いい加減にしろや!」って、マンツーマンでめちゃくちゃ怒られたんです。そのときに「あ、怒られた。この先生から見捨てられてなかったんだ…」って思って、好きになっちゃいました(笑)。
それで翌朝に勇気をふりしぼって「先生、おはようございます…」って挨拶したら、「お前できるじゃん! お前『おはよう』って言えるだな!!」って。「あ、私『おはよう』って言えた…」と気づかされて。そこからめちゃめちゃ勉強して、更生しました。
それまで社会が25点だったのに、中学3年のはじめてのテストで96点。その先生が社会の先生だったっていうのもあって。それまで、頑張ったことがなかったので自分で「へー、頑張れば結果に出て来るんだ」って思えました。
今、生意気な同じくらいの年がいても、「反抗したい気持ちわかるよ」って思います。でも、私はその先生のおかげで「頑張る」ができるようになりました。そのときに「先生みたいな教師になりたい!」っていう夢を持てたんです。
先生はご結婚されて子供も2人いて、今でも教師をしています。私がSBの選手をしていることを知って応援してくれています。
SBとの出会いのきっかけとは。
所属のGSB豊橋の山村教文会長は私の父です。5年ほど前にジムを開いて、最初は週2~3体育館でやっているときに、私は痩せたくって参加していました。
最初は父も私が「先生」を目指しているのを知っていたから「顔傷つくし試合とかは出んでいいよ」って言ってたんだけど、アマチュア大会で対戦選手を探していたときに、出場したことがきっかけです。17歳でしたね。
もともとRENAちゃん(Girls S-cup2009王者/2010/2012世界王者)が好きだったんです。2015年にSBアマチュア西日本代表決定戦があって、及川道場の選手との対戦だったんです。その頃 RENAちゃん、MIOちゃん(SB日本女子ミニマム級王者)が所属していたんで、相手のセコンドには憧れのふたりがいて。その試合、負けてしまいました。しかも、ふたりの前で負けて…。終わってから、周りが引くくらい悔しくって泣いてました。そこからですね、火がついたのは。それまで週1くらいの練習だったんだけど、18歳で車の免許とったんで、自分で運転して毎日行くようになりました。
負けたことで闘争心に火がつき、デビューに至った経緯とは。
毎日練習を頑張っていると欲がでてきて、「20歳までにはデビューしたい!」って思うようになっていました。
プロって大きな舞台にたてるし、かっこいいし、目立てるし、「なれるものなら、なりたい!」って、今思えば軽く考えていたけれど、西日本決定戦で負けて…。そこから心を入れ替えて、翌年2016年1月に行われたSBの全日本アマチュア大会で優勝することができたんです。私、誕生日が2月2日だったんで、ギリギリセーフ。20歳まで残り数日のところでデビューが決まったんです。
デビュー1年目にして、憧れのMIO選手と対戦したり、怒涛の1年でした。ときどき「アマチュアのままでもよかったんじゃないかな」と思っちゃうときもあったんですが、でも勝ったときの重みが全然ちがいますよね。
それに応援してくれる人たちがいます。試合前にチケットを購入してくれた人に、直接手渡しにいくんですが、同じ歳くらいの子がお金を払ってきてくれるって思うと「やらんといかんな!」って責任を感じますね。
デビュー戦のときは、MASAYA選手(SB日本スーパーライト級王者)たちがわざわざ応援に静岡まで来てくれたり、Facebookだけでつながっていたユニオン朱里ちゃん(SB日本女子ミニマム級1位)から激励のメッセージもらえたり、「やばい、これは勝たな!」って緊張しながら気合い入りました。相手はアマチュア100戦くらいしてる相手だったんですが、その試合は、勝つことができました。
試練の試合が続くMISAKI選手。今後の展望と、もうひとつの夢について語ってくれた。
教師になるために四年制の大学へ行ったんですけど、途中でSBプロデビューして、SBにどっぷりハマってしまって、大学1年で退学したんです。「格闘技に関われる仕事」をしたくなって。中退してからジムで介護の会社をやってる方に雇ってもらいました。そのうちに私自身が食べることが大好きなこともあって「栄養士になりたいな」って思うようになり、今は短大に行っています。格闘技は減量とかあるんで、それをサポートする仕事をしたいんです。選手だけに限らず、格闘技を通して元気になる人のサポートをしたいですね。
今のジムで「栄養士をやれ」って言われているんですが、将来の安定を考えてしまうと、どうしようかすごく悩んでいます。栄養士の勉強ってカロリー計算、糖尿病、肝臓病とか病気に対応した内容なので、スポーツ栄養からはちょっと遠い。まずは私が選手をやっているんで、自分の減量と食事をしっかりやっていくことからですね。
練習環境には恵まれています。GSB名古屋への出稽古で、ユニオン朱里ちゃん、ユリカGSBちゃん(SB日本女子ミニマム級4位)、梅尾メイちゃん(Team Barbosa Japan所属)と、48キロ ミニマム級の女子選手がこんなに一堂に揃う環境は、どこよりも素晴らしいと思う。『Girls S-cup2016 ~七夕ジョシカク祭り~』から練習も、どこへ行くにも4人で集まったり、試合も一緒になることも多いですね。
小学生の自分が、今の自分をみたら驚くでしょうね…。引きこもりで肥満児だった私がSBのこととかSNSに書いているのを見て、その当時の私を知っている友達はすごく驚いています。そして、「がんばってね」って言ってくれるんです。やっぱり、そういうのがすんごく嬉しいです。
連戦が続いたこともあったけれど、やっぱり試合が終わると楽しいし、出会いもたくさんあります。やっぱりSB選手なんで、MIOちゃんが持っているベルトがほしいですね。一度負けているので、すぐには再戦できないかもしれないけど、遠回りしてでも、ベルトを賭けてやりたいです。
私はプロなので、つまらんような試合だけはしたくない。女子はKO試合が少ないから、倒す試合をしたいです。お客さんが楽しんでくれるような試合をする選手になりたいです。
恩師との出会いで頑なだった心が動き、ひとつの「自信」を手にしめぐり会えたSBの世界。自分の手でつかみとり、歩み始めた闘いの道。その瞳は、これからどのような世界を見つめていくのだろうか。これからも変わりゆくであろうMISAKI選手の佇まいに注目したい。
聞き手 : 高橋藍
MISAKI(みさき)
SB日本女子ミニマム級3位
1996年2月2日生まれ 愛知県豊川市出身 GSB豊橋所属 SB日本女子ミニマム級3位 身長 156センチ/体重 48kg 戦績8戦6勝1敗1分