興行の主役は選手であるのは当然のことだが、興行を盛り上げるために、来ていただけるお客さんのために裏方で頑張っている人たちの存在を忘れてはいけない。滅多に表に出ないSB興行部長運営総指揮を務める三谷翼氏に、SB興行を盛り上げるために散りばめられた数々の仕掛けを教えてもらうと共に、SBへの想いを聞いた。
SBに関わるようになった経緯
元々、16歳の高校生のときから主に神宮球場などで野球やイベントのチケットもぎり、イス並べ、座席案内などのアルバイトをしていたんです。その中にはRINGS、UWFインターなど格闘技興行もありました。当時からイベント関係のお仕事をしたいとはぼんやり思っていて、20代のときにRINGSが営業アシスタントを募集していたので入社しました。
3年間勤めていたRINGSが2002年に解散後、それまでにもお付き合いのあったシュートボクシング(以下SB)から「イベントの流れがわかっているのでうちで手伝ってほしい」と相談をされ、2002年7月のS-cupからSBに関わっています。アンディ・サワーが初優勝した大会で、僕のキャリアはSBでのサワーが築き上げてきたキャリア年数と全く同じになるので、もう15年になりますね。
でも15年経ってもシーザー会長には「お前はなんだかんだ言っても前田だろ?」とか言われますけどね(笑)その前田(日明)さんには「お前は俺よりシーザー武志をとるんやろ?」とも言われます(笑)
元々格闘技が好きで、新日本プロレスから入り、UWFファンになり、前田日明さん、佐山サトルさん、当時UWFと関わっていたシーザー武志会長のことをリスペクトしていましたし、凄く好きでした。RINGSが解散してからはどこの団体でもいいから格闘技に携わっていこうと思っていたわけではなく、SBには“シーザー武志”という人物がいたことでSBの力になれたらな、と思うところがありましたね。今はSBに従事しながら、他のイベント運営や人材派遣の会社の業務にも携わっています。
SBでの仕事内容とは!?
大会会場側との折衝から台本マニュアル作り、各事業者さんの手配、スタッフのお弁当の手配まで様々なことをやっています。貼り紙などの作成や雑用もしますし、製作サイドとの進行の打ち合わせ等々、運営や製作に関わる全般的な業務の責任者を務めています。
リングにはたまに上がってカメラマンの撮影を指示することもあります。進行役は別にいるのですが、メインイベント、タイトルマッチのような進行上で重要な流れが必要な時はマスコミの皆さんとの温度感がわかるような経験値が必要になってくるので、あえて主催側である私が上がるようにしています。私個人的にはリングにスーツの裏方がいる画は美しくないと思っているんでなるべく上がらない様にはしているんですけどね。
その時以外はお客さんの入りを見たり、選手のケガなどのトラブル対応でバックヤードを走り回っていたりすることが多く、進行に大きな影響が出そうな試合はリングサイドにいます。
興行を良くするために心掛けていること
興行はお客さん第一なのでお客さんが喜んでもらうための仕掛け作りを常に考えています。例えば、17時半から試合が始まるときに、それまで会場で流していたBGMを徐々に大きくしていってまもなく開始するような雰囲気を作ったり、どこで会場を暗転にすれば観客からより大きな拍手が沸き起るかというような仕掛けを考えたりしています。
私が提案したことで思い出深いことですか? 格闘技ファンは僕と同じくプロレスが好きで格闘技好きになるという流れを辿ってきた人も多いと思います。もう10年以上も前のことになりますが、SBでリングアナウンサーを変えたいという話を森谷(吉博=現SB統括本部長)と話していてケロちゃん(=田中ケロ)が新日本プロレスのリングアナウンサーを辞めてフリーになったと耳にしたので彼に声をかけてみようと。そこでお願いしてSBに出てもらうことになりました。
大会当日、休憩明けにケロちゃんをアナウンサーとしてリング上に出すことになり、ただ単に登場するのも脳が無いので、登場前に「ワールドプロレスリング」のテーマソング「The Score」をいきなり会場でかけたら面白いんじゃないかと思ったんです。テレ朝で放送される新日本プロレスの中継で流れていたので、プロレスファンじゃなくても多くの人が耳にしていると思われる曲です。そこで敢えて普段TVで流れないイントロから流して、サビの部分で「なぜSBの会場で新日本プロレスの曲?」と思われたときにドンッとスポットライトがリング上に当たってケロちゃんが現れる。それがバッチリはまり、「うぉーっ」と会場が盛り上がったのが一番思い出深いですね。
当然、試合は真剣勝負ですが、イベント自体はお客さんに喜んでもらう空間、と僕は捉えているのでプロレスファンをくすぐるような演出というものを考えています。例えば、ヤングシーザー杯というネーミングも新日本プロレスのヤングライオン杯からヒントを得て僕から提案させていただきました。SBというと固いイメージがあったけど結構面白いところはあるんだなと感じてもらえるといいですね。
今SBは“アート・オブ・ファイティング・スポーツ”という言葉を打ち出していて、私もまったく同感です。これはシーザー会長の理念と重なるところでもあるんですけど、格闘技というと世間的には野蛮、暴力的とのイメージがあるのが現実。でもそうではなく、少しでも高貴なイメージの空間であるイメージを作りたいと心掛け、我々はスーツ姿になり、会場では照明を下品にならない程度に派手な演出にし、リングサイドや花道は赤のカーペットにしています。私は選手では無いですが〝シュートボクサーは紳士たれ!″という思いで仕事をしているので、ビッグマッチの度にスーツを新調したりと自分自身の身だしなみにも注意しています。
あと、SBには欠かせないラウンドガールの見せ方などは私が提案させていただきました。コスチュームなどで他の団体とは違いますよね。華やかさをより大きくするために、マシーン軍団(1980年代の新日本プロレスを席巻した覆面軍団。徐々に増殖していった)のように他団体と比べ物にならない人数で揃え、みんなスタイルも良く、コスチュームも一着10万円以上かかったものになっています。これは後援して頂いてる協力者の方のおかげで出来ています。ラウンドガールオーディションは普通だと、どこかの会議室でやられていたりするものなんですが、参加者自身への意識付けとオーディション自体を高貴な場所でやりたいという考えから誰もが知っている高級ホテルの宴会場で、一回に●●●万円の予算をかけてオーディションを開催しています。ちょっと桁外れですよね(笑)
でもそういう場で選ばれるからこそ、あのようなクオリティの高いラウンドガールが選ばれているんですよ。これからも人数を増やして会場を練り歩いてファンサービスをしたりだとか、皆さんに喜んでいただけるような魅せ方をしたいとも思っています。
イベントに関わっていて失敗とかトラブルですか(苦笑)。うーん、、、例えば今年の後楽園大会で場内アナウンスもありましたが、ある選手がマウスピースを忘れてしまったんです。主催側では万が一のためにファウルカップ、マウスピースを用意しているのですが、その時はマウスピースの予備がありませんでした。選手、セコンドはしないで試合をしたいというのですが、競技としてそれは認められません。急遽買いに行って、試合順番を入れ替えたこともありましたね。
選手入場式をやるときに外国人選手が会場外に出て行ってしまって探し回ったりすることはしょっちゅうですよ。それでオープニングセレモニー開始時間が遅れてお客さんに迷惑をかけてしまったこともありますね。
やりがいを感じるときとは!?
試合自体は選手がやるものなので僕らが口を挟んだり、いじったりすることは出来ないので、そこは選手や審判団に任せて、僕が担当している試合以外のところの演出の部分で会場が盛り上がると、こういう仕事をやっていて良かったなと思いますね。RINGSの頃からそうなのですが、大会が終わると「もうやりたくない・・・」と思うぐらい汗をかいてヘロヘロになるんです。でもさっきまで何千、何万とたくさんいたお客さんが帰っていき会場が片付けられて何にもなくなったホールを見ると、凄く寂しくなるんですね。さっきまでの熱気が頭の中を駆け巡っているので、そういうときに「よし!次もまたやってやろう!」と思いますね。さいたまスーパーアリーナとか国技館のような大きな会場での大会になると、前日の夜に会場入りします。ここに何万人というお客さんが入るのか、そのお客さんに関わるイベントの全責任をほぼ自分が負わないといけないんだなぁと思うと、足が震えてくるんですよね。ただ決して逃げ出したいというのではなく、発奮材料となって武者震いするんですよ。意外とひょうひょうとやってるじゃん!?と周りから言われますが、割とそのへんはナーバスになりますよ。大会前日は緊張もあって眠れないのはしょっちゅう。最近は歳のせいもあって眠るようにはしてますけどね。
お客さん第一ではありますが、SBにはシーザー武志という絶対的な存在がいます。その前には前田日明という絶対的な存在、所謂カリスマと呼ばれる方達に僕は仕えてきました。何かミスったらそのカリスマに怒られるという物凄い緊張感の中、やっています。40歳過ぎても怒られることがしょっちゅうあるんですよ(苦笑)この歳になってそれだけ怒られるのか!?と思ったりもするのですが、そうやって怒ってくれる人がいるから、こんなユルい人間でも緊張感を持って仕事に臨むことができているんだと思っているので、それはものすごく幸せなことなんだなと感じます。ああいう方に仕えていると普通の人に怒られても、全然怖くなくなりますよね(笑)。
SBに期待すること
SBは1985年に設立されて今年で32年になります。僕自身はRINGSといった比較的大きいと言われる団体にいさせてもらったからこそ思うのですが、K-1、PRIDE、RINGSなど世間を巻き込んで1時代を築いても当時の姿は今はなくなってしまっています。格闘技ブームに乗っかってやたらめったら大きな会場で興行を行うのではなく、SBは後楽園ホールで地道に興行をやってビッグマッチも定期的に行い、ジム経営もやるなど、こつこつと30年以上も続いていることこそが成功の全てだと思うんです。今はおかげさまでRENAが活躍させてもらっていますが、それに驕らず今まで通り選手を育成して、地道に大会を開催し、スターを作っていきたいですね。選手育成としては、浅草花やしきさんの全面協力のもと、ヤングシーザー杯を2カ月に1回開催しています。さらに来年秋には、約500人が収容できるアリーナが花やしきに誕生し、そのこけら落としイベントをSBが行うことが決定しています。ゆくゆくは誰もが知っているSB、そして浅草から世界にいくシュートボクサーがどんどん育っていって欲しいですね。
三谷 翼
SB興行部長運営総指揮
東京都出身 SB興行部長運営総指揮