シュートボクシング
HUMAN OF SB

シーザージムの名トレーナーのダムさん。元々、K-1 WORLD MAX 2004&2006王者、S-cup2010王者ブアカーオがいたポープラムックジムでブアカーオはじめ、数々の名選手を育ててきた。12年前に来日後はシーザージムで多くの名シュートボクサーを輩出している。日本滞在歴は長いけれど、片言の日本語しか話せないためにダムさんのこれまでのことを知っている人は少ないといっていいだろう。ダムさん本人も「今まで自分のことを取り上げられたことはなかった」という。今明かされるダムさんのこれまで……、そしてシュートボクサーたちにかける想いを語ってくれた。

日本に来るきっかけとは?

 

まず初めに、私は肌が黒いからダム(タイ語で黒いという意味)というニックネームなんだ(笑)

元々はブアカーオがいたポープラムックジムにいて、ブアカーオのトレーナーをやっていたんだ。12年前にブアカーオがK-1に出ていた時にブアカーオの煽り映像で私のことを見つけた森谷吉博さん(元SBスーパーバンタム級王者、現SB広報)が日本からジムに来て「日本でトレーナーをやりませんか?」と声をかけてくれたことでシーザージムに行くことになったんだ。

最初は3カ月間のお試し期間で、もしその期間内でジム側が私のことを気にいってもらえなければタイに帰らないといけなかった。3カ月の間に日本人のファイトスタイルについてビデオを見て凄く研究したよ。ムエタイスタイルだとゆっくりしたリズムで攻撃するけれど、シーザージムの選手は連続で攻撃する選手が多いよね。3カ月後にシーザー武志会長からOKのお返事をいただき、今に至るんだ。

最初、ポープラムックジムのプラムック会長からは日本に行くことを止められたんだが、僕は給料がいいからどうしても日本に行きたい気持ちになっていた。そしてシーザージムのみんなは家族みたいに優しいのでもう気持ちは日本に向いていたんだ。

当時、プラムック会長は私をトレーナー業でイタリアに行かせる計画だったみたい。イタリアのジムからも連絡を待っていたけれど、日本からの連絡が早かったんだ。(2004年に)ブアカーオがK-1チャンピオンになってポープラムックジムが凄く世界的にも有名になっていたから、当時は色んな国の人がトレーナー探しにジムに来ていたよ。

現役時代はどんな選手だったのだろう。

 

小さい頃は不良だったので勉強が好きでもなく、中学も卒業していない。両親は農業をやっていた。三兄弟で兄、そして12の歳の差がある弟がいる。

ムエタイを始めたのは家が貧しかったから。

8歳からムエタイを初めて20歳まで選手をやっていた。現役時代は田舎でやっていたので有名な選手でもなかった。50戦ぐらいはやったかな。最高に稼いだファイトマネーは3,000バーツ(日本円で1万円)ぐらい。ラジャダムナンやルンピニースタジアムでの試合経験はないのでそれぐらいの稼ぎだったんだ。ムエタイで稼いだお金は兄の学費に使ってもらっていたよ。

現役時代はサウスポーのムエマッド(ムエタイ用語でファイタータイプのこと。壊し屋のような選手)タイプだった。

17歳の時に「ソンシャイジム」という田舎のジムにいたけれど、そのトレーナーからいじめられたので逃げ出して、地元(スパンブリー)に戻り、(元)奥さんに出会って結婚したんだ。 奥さんが妊娠したのをきっかけに20歳でムエタイを引退した。

引退してからは、20〜21歳の時にバンコクに来て、バイクタクシーの管理人として働いていた。27歳の時に、ルンピニーのチャンピオンになった知り合いの誘いで、パヤタイにあるワンチャンノイ・ソー.パランシャイというジムでトレーナーの仕事を始めたんだ。そして、知り合いに誘われ、ポープラムックジムに行った。 そして2003年からブアカーオのトレーナーになった。

ブアカーオは僕が育てたといってもいいだろうね。

ブアカーオの最初のトレーナーは僕の友達がやっていた。そしてK-1に出るために僕が代わって育てたんだ。ブアカーオがよくやっている顔面への前蹴りあるよね? あれは僕が教えたテクニックだよ。今もまだ彼は世界中で活躍していて、凄いよね。自慢の教え子だし、嬉しい。彼が成功できて本当に嬉しいよ。

日本での生活について。

 

日本での生活は9時半に起きて10時半までにシーザージムに来て11時から働く。休憩は14時から。また18時にジムに来て22時までトレーナーの仕事をやるんだ。日曜は休み。祭日は半日だけ働くことになってて、ジムは18時までだけど、私は14時までの勤務になる。プロの選手を中心に教えてるんだ。

タイには1年に1回は帰ってるよ。毎年4月と5月のゴールデンウィークを使って2週間は帰るようにしているんだ。

ジムにいる以外では、タイ人の友達と一緒にタイ料理のレストランで飲むときが楽しいね。FACEBOOKでよく生中継をしているけれど、タイにいる家族や友達に元気でいることの報告も兼ねているんだ。今、73歳の母が病気で、10年前はまだ元気だったけど今は歩けない状態でもあるから心配だ。父は55歳で亡くなったので、母のことを弟が看病していて、自分が面倒を見られない分、日本で稼いだお金の一部はタイの家族に送るようにしている。

飲むこと以外の趣味?ちょっと競馬に行くことぐらいかな(笑)。決してはまっているわけではなく、楽しいからやっているだけなんだ。それなりに大勝ちすることや負けが混むときもあるけど最終的にはトントンかな。

 

日本にいて感じること。

 

今は日本に住んでいるから日本が好きだけど、人生の最後のときはやはりタイに帰らないといけないと思っている。まだまだ頑張れるから日本で頑張るよ。一応身体が動かなくなってトレーナーが出来なくなってもタイ料理を作るのが好きだから、タイ料理屋でもやろうかな(笑)。得意な料理? グリーンカレー、ガパオなど何でも作れるよ。

指導していて日本人とタイ人とでは全然違うね。日本人を指導する方が難しいよ。連続で攻撃することが求められるからね。タイ人は真面目じゃない選手もいるけれど、日本人はみんな真面目で一生懸命練習するよね。あと日本人は具合が悪くても練習を休まない。

私は日本語を喋れないけれど、試合中にセコンドについて選手には自分の指示が何となく身体の言語で通じてるんだ。お互いの信頼関係があるからだと思うけど、不思議なことだよね(笑)。

今SBで注目している選手はヒロキ(笠原弘希)、ユウキ(笠原友希)の兄弟かな。彼らを6歳ぐらいから指導している。あと、シーザー会長の息子、キヨ(村田聖明)もまだ若いし、今後注目の選手だよ。この3人が有名になってSBをこれから盛り上げていくんだ。

最後にダムさんからメッセージ

 

日本にいて悪かったこと? 誰とも喧嘩しないし、日本人はみんな優しいし、悪いことは何もないよ。一度もタイに帰ろうと思ったことはない。母は「日本にいた方がいい。もしタイにいたら色んな人と喧嘩して悪いことをするんじゃないか」と心配しているんだ(笑)。

日本にいて良かったことは、私の人生を変えてくれたこと。若いときはそれなりに無茶をやっていたけど、日本に来たことでそういうことも一切やらなくなり、人生が変わったんだ。

シーザージムにいる人はみんな凄くいい人で親切、僕も温かい気持ちでいられるんだ。心からここにいて良かったと思うよ。何よりシーザー会長は選手のことをよく理解していて、僕に仕事を任せてくれ、立場を尊重してくれている。タイにいる時と同じ気持ちで仕事が出来るんだ。そしてシーザー会長は優しいし、第二のお父さんだと思っている。

日本の他のジムからトレーナーのお誘いもあったけれど行かなかった。私はチャンピオンを育てたいので精一杯ここで頑張るよ。どこにも行きたくたいね。

シーザージムの選手はみんな一丸となって頑張って練習していて最高なんだ。もっと頑張ってほしいと思う。絶対にみんな成功するよ。シーザージムの皆さんを応援して下さいね。

最後に……

シーザー会長のおかげで日本に来ることができたわけだし、その御恩を一生忘れることはありません。10年間お世話してくれて感謝の気持ちでいっぱいです。これからも頑張ります。ジムの皆さんは私の家族です。これからもよろしくお願いします。心から感謝しています。

聞き手 : タイ語通訳_ワンサナー・ウェッシャピタック

ワッチャラチャイ・ヌンラーティー (通称:ダムさん)

シーザージムトレーナー

ワッチャラチャイ・ルンラーティー 1969年5月18日、タイ国スパンブリー県出身 シーザージムトレーナー





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