今年プロ9年目を迎えるSHOOT BOXING(以下SB)スーパーバンタム級2位・伏見和之選手。所属している東京都台東区「シーザー力道場浅草」の他に、今年3月から新たな練習環境に身を置く。2016年(SHOOT BOXING2016 act.4 SB日本スーパーバンタム級王座挑戦者決定トーナメント決勝戦)の敗戦から“引退”の文字にとらわれ頑なだった心が、年を新たに再び動きはじめた、その心境を聞いた。
新しくなった練習環境とは?
年明け前に津田勝憲君(元総合格闘技選手)から新しいジムをOpenさせるから、そのトレーナーに誘われたのがきっかけでした。千葉県津田沼市にある格闘技ジム「FIGHT FARM」のトレーナーの話でした。
最初「トレーナー」って聞いたとき、「自分の練習ができなくなる」って思って。正直にその気持ちを話したら、津田君が「いや、そうではなくって、指導もして自分の練習できて、きちんと金ももらえる環境だから。メリットしかない」って話してくれて。多くの格闘家は仕事と練習をして、それで試合に挑んでいるんですが、その負担を少しでも「格闘技のみ」に専念できる環境を作りたい、って言ってくれたんです。津田君と高谷さん(総合格闘家)の男気が、本当すごいです。
今、ボクシングトレーナーの佐々木さんに練習を見てもらっています。佐々木さんは内山高志選手(WBA世界フェザー級王者)のトレーナーも務めている方なんですが、佐々木さんの指導方法は今までのものとはまったく違うものでした。選手の短所と長所を見極めて、長所をのばして短所をカバーするような指導をしてくれるんです。佐々木さんいわく、僕のパンチはキレもスピードもあるし、インパクトを残す力は持っている。しかし、打ち負けてしまうのは、「パンチを打った後の体重移動がない。体がいつまでもそこにあるから、もっと足を使って前後のステップ、左右の動きを出すと、もっとパンチがいきてくるよ」って。
以前は試合やテクニックに関しても「俺はここまでしかいけない人間なんだ」ってあきらめていた部分もあったんです。でも今はどこまでいけるの自分でもわからない。もっともっと上を目指していける。超大きな変化です。
引退を考えた伏見選手を、再び奮い立たせたものとは?
正直、昨年の敗戦で「辞めよう、引退しよう」と考えていました。でも11月(『SHOOT BOXING WORLD TOURNAMENT S-cup 2016』)の「SB日本スーパーバンタム級タイトルマッチ 内藤大樹 対 植山 征紀の試合をみていたとき、内藤君が先にダウンをするんですが、そのとき誰もが、応援者も身内も「これはダメかもしれない」って負ける準備をしていたと思うんです。でもあのとき、内藤君本人だけはあきらめていなかった。そこから内藤君は逆転勝ちするんですが、その姿を見たとき「あ、俺、今あきらめようとしているだけだな」って気づいたんです。「ここであきらめたら、この先も人生の負け犬で終わるな。いや、このままじゃ終われない…」って。
やっぱ「あきらめる」って逃げですよね。あきらめるから夢が叶わないだけで、あきらめなければ夢はいつまでたっても追いかけられる。
内藤君の試合を観て、再起への気持ちだけは動きました。でも、すぐに「どうしよう」って気持ちになり。練習場のシーザー力道場浅草は、指導していてくれた力先生が病で倒れてから、トレーナーらしい指導者がいない環境でやってきました。普段は練習生たちと自分たちで考えながらメニューや戦略を立てていたんで、俺に指導をしてくれる人はいません。だから、「復帰」にも、現状の不安がよぎりました。
そんな矢先に津田君から声をかけてもらったんです。正直、収入は激減したけれど、これを逃したら先はないし、お金よりも得るものが大きいって思って選択しました。
伏見選手とSBとの出会いは?
俺、結構格闘技オタクなんですが、格闘技を好きにさせてくれたのは、力先生です。きっかけは中学三年の、部活の野球部も引退して「やっと遊べる〜!」って思っていたときでした。
当時は反抗期で、親とも口をきかない、夜中抜け出して遊ぶような時期。家業が自営業なんですが、夏になると取引先とかに挨拶回りを親父がするんですが、一緒についてまわるとお駄賃もらえるんですね。反抗期でも、そのときばかりは親父について行ったんです。その帰り、車が学校の前に止まって。学校に着いたら親父が力先生に「はい、それでは先生お願いします!」って俺を引き渡すんです。親父が俺に「格闘技やってこい」って言うんですけど、俺は「やらない」って言ったら、「根性なし」って言われ。「お前は喧嘩したことないのかよ」「あるよ」「じゃあ、ぶっ飛ばしてこいよ」って話になり…。その親父の言い方が悔しくて渋々行くんですけど、その時は、まず先生や他のメンバーとスパーをしました。でも、パンチは届かないし、当たってもきかないし、「打ってこいよ」って打たせてくれるんだけど、最後にボディ一発入れられて倒れるって感じで。その俺のやられた姿見て、みんな笑うじゃないですか、それが悔しくて悔しくて。
その時、島田くん(島田洸也 元SB日本フェザー級王者)にもやられたんですよ。当時はガリガリでおたくみたいで、「なんでこんな奴にやられなきゃいけないんだよ」って、マジほんとムカついて。
「全員ぶっ飛ばしてやる!」って思って練習をやるようになったら、試合に出ることになり。これが俺の格闘技のスタートです。それからいつの間にか、格闘技が好きになっていましたね。
初めての試合は「新空手K-3」だったんですが、結果はドロー。格闘技の世界って勝ち負けしかないって思っていたんで、まさかのドローがすごく嫌で、勝つまでやろうって思い、次挑んだ試合が神奈川でのSBアマチュア大会でした。結果は判定負け。めっちゃ悔しかった…。次は「RISEアマチュア大会KAMINARIMON」に出て、やっと勝ちました。そのとき「勝ちって気持ちいいな。もう一回勝ちたい」って思い、また続けることになったんです。
ちょうどその頃に緒形健一(元SBスーパーウェルター級王者)さんの試合を観たんです。ポール・スミス選手(ISKAオーストラリアウェルター級王者)の飛び膝蹴りをもらい後ろに思いっきりダウンする絶体絶命から逆転勝ちをする試合を観て、もう、なんていうか…、その歓声と視線を独り占めしていて、マジかっこよくって…。俺、目立ちたがり屋なんで「俺もこうなりたい!」って思いました。格闘技全盛期だったんで、たくさん有名な選手もいましたけれど、緒形さんは、もう俺の中で別格です。俺の一生の憧れです。
緒形さんは頂点に立っても、次の試合で負けたりするけど、最後はかっこいい。俺が試合で負けたときも、俺のことを奮い立たせてくれた存在です。
格闘技のきっかけを作ってくれた父親の存在について語ってくれた。
超カッコイイ親父でした。親父は2011年に病で亡くなったんですが、言い訳を一切しない、生き方がカッコイイ親父でしたね。恩師である力先生に俺を託した親父ですが、俺が夜中に遊んで帰ってくると金属バット持って寝て俺を待っていたり、めっちゃ怖い親父でした。
俺が外で喧嘩をしてボコボコにやられたって聞いたら、「喧嘩はあやまった方が負け。やり返してこい」って言うような親父だったんです。
でも挨拶まわりしていたとき、めっちゃ頭下げているんですね。それを見て「ダセェ」って思って。でも子供ながらに会話を聞いていると、親父が謝る必要なんてないんですよ。後々親父が言っていたのは、「あやまることで大切な人を守れるなら、頭をさげることも必要」と。そのことを姿を通して教えてくれました。
俺がどんな友達と付き合おうが何も言わなかったし、親父にとって俺の友達は家族と一緒でした。家族の買い物に友達が一緒にいれば、洋服でも俺と同じように買ったり、いろんな人とご飯食べに行ってもみんなの分を出す。でも、家に金があるわけでもない。みんなでご飯に行ったあと、親父ひとりでコンビニ弁当とか食ってる姿を見るんです。「人には金がある風に見せてかっこ悪い」って思っていたんだけど、親父は「コンビニ弁当、カップラーメンってうまい」って言いながら食べているんですね。自分や家族を犠牲にしても、人を大切にする。「人が喜ぶために尽くしていくこと」を親父自身は誇りに思っていたし、なかなか出来ることではないと思うんです。今は俺もそんな親父を誇りに思います。
最近何かあると、ひとりで親父の墓に行ったりします、昔はそんなことしなかったんですが…。親父は偉大で、すげーやつです。
伏見選手の今後の展望とは?
今までは試合は打ち合うことが面白い試合って思っていました。でも今、自身が気持ちの面も、テクニック面でも変化を起こす中で「一方的に攻めて一方的に勝つような試合も面白い。攻撃をもらわなければ、選手生命がのびる」って思うようになったんです。
内藤くん(現SB日本スーパーバンタム級王者)を倒すのは目標じゃないです。それは当たり前のことなんで。ステップのひとつです。その上で他団体のチャンピオンとやりたいです。日本の格闘技はチャンピオンが多すぎる。本物のチャンピオンが誰かわからない。だから盛り上がらない。だからこそ、他団体のチャンピオンたちとやりたいんです。
今は恵まれた練習環境ですが「これが当たり前」と思ってはいけない、この生活が当たり前って思ったら、伸びなくなる。現役をやめても、いつまでも楽しく格闘技をやっていたいんです。「はい、これが俺の人生です」って言えるほどに。
あと、俺家族がめっちゃ好きなんですよ。親父亡くなって家族で男は俺ひとりで、かあちゃんとねえちゃん2人。かあちゃんもパートしていて、家族みんなで生活しています。
俺が韓国に旅行行くときに、かあちゃんが封筒よこして、中に「一万円札」と手紙が入っていたんです。手紙に「少ないけど」って書いてあって、それを見て泣いてしまって…。かあちゃんが一万稼ぐのに頑張っているのを知っているから。でも直接言えないからSNSとかで「家族好き」を出すんですけど、ねえちゃんが余計なことして、かあちゃんに見せて、かあちゃんから連絡きて、電話切ってから泣いちゃったり(笑)。
かあちゃんのことをもっと楽にしてあげたいですね。仕事で忙しくなくても生活が大丈夫なように、俺がしてあげたいですね。
格闘技、SBとの縁を“偉大な存在の父親”につないでもらい、今なお高みを目指す伏見選手。10代からはじめた格闘技で、プロ9年目にして自分自身に新たな可能性を見出した。心身も、時も熟した伏見選手の格闘技世界の創造が始まった。
聞き手 : 高橋藍
伏見 和之(ふしみ かずゆき)
SB日本スーパーバンタム級2位
1991年3月18日生まれ 東京都出身 シーザー力道場浅草 所属 元SB日本スーパーバンタム級王者 元MA日本バンタム級暫定王座 現SB日本スーパーバンタム級2位 身長162センチ/体重55.0キロ 戦績44戦28勝(8KO)15敗1分