シュートボクシング
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HUMAN OF SB

現役時代はシュートボクサー、MMAファイターとして活躍、現在はグラップリングシュートボクサーズ代表を務める坪井淳浩氏。指導するジムでは名選手を輩出するだけでなく、名古屋で定期的に若手中心の興行であるヤングシーザー杯の中部地方版「YOUNG CEASER CUP」を主催している。現役時代のこと、選手育成法、海外への選手派遣のことなどを聞いた。

これまでの格闘技のキャリア

 

中学生の時に柔道を始めて、高校には柔道の推薦で進学しました。途中、高校をリタイアしてからは柔道を辞めました。柔道を辞めた理由ですか? 先生方とうまくいかなかったり、我が強いので上下関係が嫌で先輩たちとよく喧嘩をしていたというのもあります。

成人してから上京してシューティング(=修斗)をやりたかったのですが、様々な流れで 名古屋でシューティングに近いものを探しているときにシュートボクシング(以下SB)があったのですぐに入門しました。1年でプロになりたいという完全なプロ志望だったので、その1年間は仕事を辞め、夜間のバイトに変えて、プロになるまでは全国を廻って試合をしていましたね。

プロキャリアとしては、SBで23戦~24戦、その後ジムを離れフリーになってからZSTなどのでリングで総合は30戦~35戦ほどやったと思います。

SB時代、土井(広之)さんがずっとチャンピオンでアマチュア時代から何戦もしてますが、一度も勝てませんでしたね。あとは全日本キックのリングで魔裟斗さんともやりました。5R判定負けでしたが、本人は思ったよりも手こずったと思いますよ。

当時の目標はトップになりたいという想いが漠然とあり、まずSBのランキングに入るのに時間がかかりましたね。今みたいに試合が定期的に決まらない時代なのでオファーがあるものは全部受けてました。そういう流れでやっているので負けも多いですし、準備期間もなかなかしっかり作るのは難しかったです。総合時代ははっきりとした目標があったわけではなく、どうやって強くなるか、どういう練習をしたら一番効率が上がるのかなど、ジムを立ち上げることも含め考えながらやっていました。特にマネージャーがいたわけではないので、新しい団体が出来きたら自分たちが率先して交渉したりしてましたね。 海外の試合での試合経験もあります。海外の試合はmixiでメッセージをもらったり、何が何だかわからない状態で試合をするのが面白かったですね。

GSB設立、現役引退へ

 

引退を決意したのは、LUIZ戦(10年7月11日)で三半規管(=平衡感覚を司る器官)を痛めて真っ直ぐ立てなくなったからなんです。寝るときも目が回っていたり、座っているときも倒れたりして危ない状態でした。これでは仕事に支障が出るなと感じましたし、他の選手のマネージメントが忙しくなり引退しようと。あとは自分が出来ていると思ってもいい試合が出来ていませんでした。そういう支障がありながらも最後の阿部裕幸さんとの試合(11年7月10日)まで持っていきましたね。

引退興行は協賛していただけるところを自分で集めて、みんなが手伝って力を出してくれました。自分のジム、GSBをオープンしたのは2005年です。元々、現役時代から僕は格闘技しか出来ないと思っていたのでジムをやるつもりでいました。今は名古屋で定期的にヤングシーザー杯の中部地方版「YOUNG CEASER CUP」を主催、アマチュア大会は年に5~6回やっています。競技者の底辺を拡げようとアマチュア選手、5戦未満のまだ経験の浅いプロの育成をベースに、東京、海外に送り出すことをコンセプトにしてやっています。今後もコンセプトを損なわず、アマチュアの選手はライトな間隔で大会に出るなどの競技人口を増やすことを考えてやっています。

Union朱里、MISKIなどGSB勢の勢いの裏側

 

Unin朱里が海外で3本のベルトを獲ったり、MISAKI、佐藤執斗と選手が育っているのは相乗効果でいい流れになっています。20代の若い選手が育っている中で、40代の二田水敏幸(NEXスポーツ)が出稽古に来てみんなの手本になってくれ、自分だけが強くなりたいとか、自分勝手なことをすることなく、個々がみんなで切磋琢磨してやっていることで全員の能力が伸びているんだと思います。僕からは、メンタルを上げていくためにどうすればいいかなどを選手たちのために考えることはありますが、大したことはやってないですよ。

他のジムでは代表自らが厳しく選手たちの体重管理をしているところもありますが、僕はやりません。自分でやりたいことをやっているのに他人が言うべきことではなく、やれないんだったら辞めればいいんです。他人に迷惑かけてやることではないですし、迷惑かけていると思ったら自分でそれは補えばいいこと。格闘技は自己責任の世界です。試合で勝つのも負けるのも自己責任ですし、やる、やらないもそう。本当に自分に責任が持てないやつはやらない方がいいんです。僕は選手たちには自由にやらせています。選手全員を見ていますが、全員に同じように目が届くわけではないので、ざっと見て自己責任でやってもらって足らないものは言ってもらえれば全部こっちで出来るだけ補えるようにやるスタンスでやっているので選手との間で問題は起こりませんし、選手たちもストレスは溜まらないと思います。一番のストレスは試合を求める人には試合がないことなので、それをきっちりやる方がうまく廻っていくのだと思いますね。

うちにはジュニアから10代、20代とジム生の年齢層は様々ですが、誰が今後伸びてくるかは本人次第なのでわかりません。そういう選手を育てようという気はないので、一人に重きをかけることはないですね。本人が望みやる気をみせてくれるのであれば、面倒を見る形になります。

今後SBとの関わり

 

Unionや佐藤のように海外での選手派遣は以前からやっていて、長く続けていきたいと思います。海外との交友は2年目で、今考えていることはアマチュア、プロ興行が出来るぐらいの協力体制を5年以内に作り上げることです。それをやりつつ、こちらの選手が活躍出来る場所をキープし、向こうからこっちに派遣できる選手も増やしていけば、自然とSBに貢献できる形になると思います。

今ネットワークがあるのは韓国、香港。これから他に交流できる場がまた増えていく可能性もあります。気長に人間関係を作って、海外でもSBを広めていけたらと思っています。

 

 

坪井淳浩(つぼい あつひろ)

グラップリングシュートボクサーズ代表

愛知県名古屋市出身 グラップリングシュートボクサーズ代表





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